2010年3月29日月曜日

紙袋&ポスター色校

DMできあがる。
紙袋&ポスターは色校。
明日か明後日、紙袋のヒモの部分のみほんをみせてもらうことになる。
ヒモは、色をかえて数パターン作ってもらえるそうなので、みほんを見てから決めるが、3種類ぐらいの色を使って作ってみたいと思っている。

ほんやら洞で印刷所の人との色校正の打ち合わせが終わった後、若い日本人カップルのお客さんと話をしてみると、男性の方はベルリンの「ラーメン誠」というラーメン屋で働いているらしい。さっそくDMを何枚か渡して、そのラーメン屋に置いてもらうことになる。
その前にいたベルギー人の観光客3人にもできあがったばかりのパリ展用DMを渡して、5/6のオープニング・パーティーに誘う。ブリュッセルからパリは少し遠いけど、行くと言ってくれる。フランスの友人にもDMを渡してもらうように何枚かずつ託す。来週の東京展にも来てくれることになる。
ほんやら洞では、こういう偶然の出会いがあるのがおもしろい。

画像は、ヒモがまだついていない状態の紙袋色校とA1/A2サイズのポスター色校。





土曜日は暗室で、新宿コニカミノルタ展用に半切12枚プリントする。
暗室ランプを2こ買ってもらったので、作業がだいぶ楽になった。
未現像のフィルムが30本程たまっているのが気になるが、プリントを最優先にする。

日曜日は、日経新聞の読書欄「文壇往来」に、杉本秀太郎・著/甲斐扶佐義・写真「夢の抜け口」(青草書房)の紹介記事が出る。

2010年3月25日木曜日

DM、ポスター、紙袋



またひとつクリア。
昨日はパリ展用DMを無事入稿(2,000部)する。来週にはでき上がるので、東京の展覧会にも持って行ける。
同時進行で、ポスターA1サイズとA2サイズを作成。ほとんど同じデザインなので、あとは甲斐のホームページとギャラリーの住所を入れて、拡大して微調整するだけ。
ギャラリーとも確認をとって、2度目でOKが出たので、今日これから入稿予定。
ついでに紙袋もつくることになった。
写真はどれがいいか迷ったけど、はじめのインスピレーションから、路地のヒナタくんのシルエット写真にする。
写真が決まったら作業は早かった。できるだけシンプルに、神秘的に、そしてちょっとおしゃれに見える様に意識してつくる。まあ、元(写真)がいいから、特に何も飾る必要はないので、文字は小さく入れる。
ひな形でみほんを作って甲斐にみせると、好評だったのでホッとする。
ギャラリーの西川さんにもみほんをメールすると、すぐ甲斐に電話がかかってきて、気に入ってくれた模様。ギャラリーの情報もぜひ入れて欲しいと言われる。
紙袋は、展覧会で本などを売るので、売れたものを入れて持って帰ってもらうため。それに、買ってくれた人がその紙袋を持って歩いてくれたら、いい宣伝にもなる。パリの街で甲斐写真の紙袋を持ち歩いているパリジャンを想像すると、なんだかワクワクする。
これも今日、ポスターと一緒に入稿する。

DMとポスターは今月末には出来るけど、紙袋の仕上がりは4月中旬になるそうだ。加工が少し時間かかるみたい。
なので、東京展には持って行けないのが残念。
画像はDMです。

2010年3月14日日曜日

暗室、そして「でかジェローム」

昨日の夜から今朝にかけてまた暗室。
東京展用にプリントをしている途中で、暗室ランプがつかなくなってしまう。ひっかけて落とした時にどこかの接触が悪くなってしまったのか? 電球は、先月切れたから最近とり替えたばかりなのに。
ショック。
ランプはもうひとつあるが、それだけでは色の具合がよく見えない。できないことはないが、作業が手間取ってしまうし、失敗する確率も高くなる。印画紙を無駄にしないためにも、体力を消耗させないためにも、急遽、展覧会用のプリントをやめて次の写真集(月曜社)用のキャビネ判プリントに切り替えることにした。

今回の東京展には、今まで発表していなかったものも多くプリントしているので、何度も甲斐写真展を見に来てくれている人にも、ぜひ見てもらいたいと思っています。

暗室の帰りには、久しぶりに河原町でぶらぶらする。
今日は久しぶりに暖かくなったためか、人通りが多かった。
前の旅行でスーツケーツが壊れてそのままなので、LOFTでスーツケースをみる。日本製の丈夫さを売りにしているスーツケースに心惹かれたが、見るだけにとどめておく。アロマ、香水売り場では試供品をチェック。L'OCCITANEまで足をのばしたが、結局何も買わなかった。春らしいものが欲しいんだけど、なかなかピンとくるものがない。


ぶらぶらしている最中、ほんやら洞にいる甲斐さんから電話がかかってきた。「でかジェローム」が来たよ、という報告だった。
「でかジェローム」というのは、3年ほど前、私が初めてプライベート・レッスンでフランス語を教えてもらったフランス人のことだ。当時、フランス人のジェロームが2人いて、2人ともパリ出身のアニメーターだったので、区別するために、彼はものすごく背が高かったので「でかジェローム」、もう1人の方を「プチ・ジェローム」と呼んでいた。彼には日本人の奥さんと生まれたばかりの子どもがいて、日本に住むつもりだったが、私がフランスに行っている間に、お母さんが亡くなったのをきっかけにフランスに戻った。それから一度ハガキを送ってきたが、メールは届かなくなっていた。連絡が途絶えていたので今度のパリ展の案内を出したいけどどうしようと思っていたところに、彼が来たという知らせだったので、つい嬉しくなる。今はリュクサンブールに住んでいるらしい。
ちなみに「プチ・ジェローム」の方は今も日本に住んでいて、毎週私とエシャンジェ(言語交換)をしている。
「でかジェローム」のおかげでフランス語に興味を持ったといえるかもしれない。
彼は日本語を少ししか話せなかったので、全く初心者の私に教えるときは、ノートにたくさん絵を描きながら説明をしてくれた。2メートル近くあるんじゃないかというくらいの大男なのだが、かわいらしい絵を鉛筆でちまちま描くのがとてもおもしろかった。その時のノートは今も大事にとってある。ノートを見ると、当時は理解できなかったことも、今では分かるようになっていることに新鮮な喜びがある。当時、私はフランス語が話せなかったので、彼とまともに会話をしたことがない。今、彼と会ったらどんな話ができるだろう?

2010年3月13日土曜日

朝日新聞に「夢の抜け口」紹介記事


3/12付けの朝日新聞夕刊に、杉本秀太郎・甲斐扶佐義の共著「夢の抜け口」(青草書房)の紹介記事を大村さんが書いてくれた。先日のシンポジウム「老人よ大志を抱け」の時も来られていて、甲斐さんに会ったから思い出してくれたのかな。京都美術文化賞を受賞した時に初めて取材してくれた人だけど、おだやかそうなとてもいい感じの人。
この「夢の抜け口」、アマゾンではもうほとんど在庫がないらしい。甘くみて、あまり仕入れてなかったのかも。

パリ展、京都市教育委員会の後援はとれた。あとは、京都府、市、京都府教育委員会にも来週、書類を持って行く予定。

2010年3月8日月曜日

甲斐インタビュー・ムーヴィー

5月のパリ展に持って行く予定の、甲斐ドキュメンタリー映像。
まだ途中ですが、You Tubeで見れるようにしています。
ご笑覧ください。

「写真家 甲斐扶佐義」part1
http://www.youtube.com/watch?v=Qjc6NgNAA6c

「写真家 甲斐扶佐義」part2
http://www.youtube.com/watch?v=ozTZo3DhDos

「写真家 甲斐扶佐義」part3
http://www.youtube.com/watch?v=Ou811CNGpMQ

撮影・編集:桐田知樹
インタビュー:浜田佐智子
音楽(アコーディオン):ryotaro

2010年3月7日日曜日

暗室、そしてシンポジウム


昨日は夕方4:30から暗室入り。
パリ用(バライタ/四切)と東京用(RC/半切)をプリント。
いつもはキャビネを100枚くらい、とにかくすばやく多く焼くのだが、今回は久々に、じっくり作品を作るという姿勢でできた。量は多くないが、まあまあの仕上がり。
軽く乾かして、バライタをプレスして、明け方5時頃就寝。

今日は午前中に起きて、1時からの、京都文教大学人間学研究所公開シンポジウム「老人よ大志を抱け」をききに行く。基調講演は編集者・写真家の都築響一さん。
20年間家に閉じこもり、いろんな雑誌に女体のスクラップをしている老人、女装をして陶芸の先生として老人施設や障害者施設などに教えに行っている老人、定年退職していきなり縄文人の生活を始めるといって退職金を全部つぎこんで縄文生活を始めた老人、精神病院のベッドの上で作品を作り続ける老人、新聞から気に入った言葉だけをスクラップして日用品に貼付けて作品にしている文房具屋店主etc...都築さんが取材した、自分の好きなことに没頭して一風変わったモノ作りをしている老人たちの、スライドを交えながらの紹介と、その人たちを通して、人がどのように生きることが幸せなのかを考えさせられるような内容だった。
基調講演の後、チンドン屋の林幸治郎さんや臨床心理学の濱野清志さん、司会の鵜飼正樹さんらを交えたディスカッションがあり、とてもおもしろい話がきけた。
甲斐さんや私がやっていることももしかすると似たようなものかもしれない。
でも、それでもいいんだ。周りの人に惑わされず、信念をもって自分のやりたいことを思い切りやればいいんだ。と励まされたような気がする。

2010年3月6日土曜日

息抜き


先週、大阪の北加賀屋でこんな光景を見つけた。
信州好きの大家さん?しかも全部入居者募集中。
クリエイティブセンター周辺、変なカンジで面白い。

2010年3月4日木曜日

企画書届く

やっと、パリのギャラリーから企画書が届いた。これでようやく他の国での展覧会を用意するためスタンバイしてくれている人たちが動けるようになる。府・市への後援も頼みに行くことができる。
西川さんがこの企画書でS財団への助成金の申請もしてくれたみたいで一安心。
やっとひとつ、動いた。次は何をすべきか。

ポスターはまだ考えるつもり。まだ納得できてない。写真だけでも十分インパクトはあるし、文字をもっと、写真のジャマにならぬようシンプルなフォントにすべきか。曜日はなくすかもっと小さく表示して、日付がひと目で分かるように etc... まだまだ反省点はいっぱいある。
印刷物は他に、ポストカード、DMも数種類作るとか言ってたような。甲斐個人の名刺も作りたいし、本を売る際、売れた本を入れる紙袋を作る構想もある。

インタビューの本、進行がだいぶ遅れている。ムーヴィー編集の方は任せているが、どうなっているか未確認。

来月、新宿のコニカミノルタでも展覧会をするので、そっちにも力を入れないと。

プリントには、集中力と体力がいる。土曜日のプリントの為、今から集中力を高めることと、体力を温存しておく必要あり。


2010年3月3日水曜日

ポスター作り・2

ポスター案2つに絞り、また少しだけ修正。結局色は変えなかった。
日付も変更。とりあえず、これをまた甲斐さんにみてもらおう。
西川さんからのメールはポスターに関するコメントはなく、オエライさんへのアピールばかり。もちろんそれも大切だけど、ひと言くらい意見がほしい。



今日はこのあと、ほんやら洞でクレモンスと会う約束。彼女にもポスターの意見をきこう。

ポスター作り


2010年3月2日(火)
学校の仕事が終わり帰宅してから、昨日の続きでパリ展のポスター案、4パターン考える。
夕方は、ジェロームとほんやら洞でエシャンジェ。ついでにポスターのフランス語でおかしいところはないかチェックしてもらう(17:20〜18:00)。
カイさん宛メールをカイさんに渡し、ボン大学のYさんにドイツでの展覧会の企画を手伝ってもらうため写真集を送ると言っていながらまだ送っていなかったので、「2〜3日内に送ります。もう少し待って下さい」とお詫びのメールを書いてもらう。
その他、企画書のことやら東京の出版パーティーのことやらで、数件打ち合わせ。東京パーティーには、BIGな人物が数人来るらしい。さすが東京。ミーハーなのでちょっとわくわくしてしまう。
カイさんが初めてマロニエで個展をしたときのDMを見せてもらう。
デザインは濱崎さん。のびのびと自由なレイアウトで、おもしろい。私にはそういう冒険心というか、遊び心が足りないので、こういうデザインができる人がうらやましい。もっと殻を崩していくことが、自分には必要。(でもなかなか、それができない)

明日は学校の仕事は休み。いつもなら八文字屋に寄るのだが、今日は早めに帰宅してポスター案の修正(21:00頃)。
納得するものができず、何かダサイ。煮詰まってしまっている。
とりあえず途中だけど、パリのギャラリーの西川さん、アランさん、クロードに感想・アドバイスをもらうため4案ともメールで送る(0:30頃)。
自分宛のメールチェック&返信。
しばらくして、「メールを見た」という西川さんから、カイさんにtelが入り、カイさんのパリ展5/1〜5/31の予定だったのが、5/6〜6/19に変更になったと言われる(1:00頃)。
明日は色を変えて作ってみよう。

一日一日、能率良く動かなければ間に合わない。

2010年3月1日月曜日

ビュット・ショーモン公園


2年前、私のフランス最後の日は、パリのビュット・ショーモン公園にいた。
泊めてもらっていた友人の家が、この公園のすぐ隣だったからだ。空港へ行くまでの時間をつぶすため、ひとりでこの公園をぶらぶら散歩していると、高台の上で結婚式の写真撮影をやっていた。
幸せそうな2人を微笑ましく見ていると、携帯が鳴った。1ヶ月前、モンペリエの近くのネビアンという小さな村に泊めてもらった時の友人からだった。「今日、フランスを発つと聞いて…。来てくれてありがとう。本当に楽しかったよ。元気で!」という暖かい言葉だった。
帰ろうとして高台から降りて行くと、聾唖の男の子が近づいてきて、寄付をしてくれと手話でせがんできた。
私はもう、数時間後には日本に発つので、現金はほとんど持っていなかった。
何度断って逃げようとしても、しつこく男の子はついてきた。
たぶん、日本人はお金を持っていると思われているのだろう。
私は小銭入れを出して、「ほら、これだけしか持ってないから」と数十サンチーム(*)ほどの小銭を見せた。〈*フランスではセントをサンチームという。(100サンチーム=1ユーロ)〉
男の子は、「そんだけ?ちぇ。しょうがない。それでもいいから、くれ」というような、先程まで弱々しい少年のようだったのが、急に態度を変えてきた。
私はひっこみがつかなくなり、その小銭を全部あげてしまった。
一応、空港までの電車賃くらいは他の財布に入れて持っていたから助かったが、最後の最後に、もやもやした気分が残った。

それでも、公園の中の柳のような木は風に揺れて、葉がキラキラ光ってまぶしかった。
このちょっと苦い気持ちや、このキラキラした光や風の匂いを、いつまでも覚えていたい。
その時なぜか、またいつかこの街へ戻ってくるという確信みたいなものが、あった。

2年後の今、また2ヶ月後にパリに行くことになった。
今度はどんな出来事が待っているのだろう?