2010年5月25日火曜日

オランダ・Leiden(ライデン)



12:25,Gare du Nord(北駅)発→Amsterdam(アムステルダム)行の高速列車Thalys(タリス)でオランダへ向かう。北駅までグザビエが送ってくれた。

切符はパリ-アムステルダムの往復を買ったが、行き先はライデン。
ライデンにはシーボルトハウスという、シーボルトが日本から持ち帰ったコレクションを集めた美術館があり、再来年、そこで甲斐の写真展を開催するための打ち合わせのために行く。

シーボルトハウスに話をつけてくれたのは、館長の友人でもあり、オスロ大で日本文化史(特に日本の映画)を教えているディックさん。ディックさんは京都に長年住んでいて、今はライデンに家を買って住んでいるが、京北町にも家を持っているらしい。関西弁をしゃべる。


ブリュッセルで少し電車の出発が遅れたので、ロッテルダムの乗り換え時間もずれてしまい、急行に乗るはずだったが、各駅停車の電車に乗ってしまう。到着が遅れているのでディックさんの奥さん・インゲさんが心配して電話をくれる。



ライデンに着いた時は曇っていて風も少しあった。パリで用心して長袖の服を二枚重ねて着ていたがそれでも寒く、持ってきていたジャケットを羽織る。気温は13度くらい。
駅にはディックさんが迎えにきてくれた。
家は近いので、ゆっくり歩いて景色のいいところを通ってくれる。


自転車が盛んなの国というだけあって、たしかに自転車が多い。道路には自転車専用道が、車道の横に必ずあり、みんなすごいスピードで走っている。

ディックさんの家は駅から歩いて5分くらいのところだった。
びっくりするくらい広い家。運河に面した広い庭もあった。

ひとまず休憩していると空が晴れてきたので、ディックさんの息子のバーツ君(中学生)がボートの用意をしてくれる。彼は最近モーターボートに夢中らしく、毎日一人でボートを操ってどこかへ出かけるらしい。
甲斐と私はボートに怖々乗り込んで、バーツ君の舵取りでクルージング。
甲斐は、自分が動くとボートが傾いてひっくり返るんじゃないかとずっと身体を強ばらせていた。私はしばらくすると慣れてきて、クルージングを楽しむ。


クルージングの後は、庭でバーベキュー。
インゲさんは友だちとボート漕ぎに行っていて留守だったのでディックさん、バーツ君、クン君がバーベキューの用意をしてくれる。大きなトルコのパンやワインも美味しかった。
クン君はだいぶ日本語を忘れているようで、あまり喋れないのではじめは私たちの前に来るのを嫌がっていたが、だんだん慣れてきて少しずつ打ち解けてくれる。
時々インゲさんが、庭からみえる運河を6人か8人乗りのボートで横切るので、バーツ君、クン君はお母さんが通るたびに手を振りに行き、しまいには2人乗りのカヌーで追いかけて行く。

隣の家にある大きな木が、何の木か気になった。シソの葉の様な色をしていて、ものすごく大きい。

2010年5月24日月曜日

メトロSt-Jacques近辺(14区)/メトロNation

午前中、甲斐は村澤さんと一緒にモンパルナス墓地に行ったらしい。
電話がかかってきて、お昼は村澤さんの家で何か作ってくれるから食べにおいで、と誘われる。
出かけようとして玄関に鍵をさしこもうとすると(フランスでは内側からも鍵をさしこんでロックする)、外から誰かが鍵を開けようとしている音がする。びっくりしている間に扉が開き、ミッシェルさんと鉢合わせ。
ジェロームの母とミッシェルさんは、ミッシェルさんの写真展のために2人でどこか田舎の方に2週間ほど出掛けているときいていたので、まさか帰ってくるとは思っていなかった。ミッシェルさんは、根っからのパリっ子で、実はパリ以外の場所に行くのはあまり好きではないらしい。今は何か写真の道具を取りにきただけで、これから誰かと会った後、夕方また戻ると説明してくれる。私は明日からオランダに行くので、泊まるのは今日までのつもりだったことを伝え、お礼を言う。ミッシェルさんは「たぶん、また夕方会いましょう」と言い、家の中に入って行った。

メトロのSt-Jacques(サン・ジャック)駅近くに住む村澤さん(龍谷大学の先生)のアパートへ行く。
途中にちょっと変わった形の大きな教会があった。



村澤さんはチャーハンとサラダと冷やしうどんを作ってくれる。
名前は忘れてしまったが、サラダに使った丸い緑の葉っぱはフランスでよく使う野菜らしい。スーパーでは袋にバサッと入っていて結構安い値段で売っている。くせのない味で美味しい。
食後には、ちゃんとエスプレッソのサーバーで、コーヒーも入れてくれた。

甲斐と私は、明日から27日まではオランダのライデンと、28〜30日はフランスのロワール地方に立て続けに行くことになっているので、甲斐は村澤さんの家に置いている自分の荷物を持ち、私はまたIvry(イヴリー)まで戻って荷物を持ち出し、グザビエの家に行く。
明日の朝は、グザビエが駅まで見送りに行くというし、私も甲斐も、いまお世話になっている場所はパリの南側で、オランダ行きの電車が出ている北駅までは遠いので、北駅に近いグザビエの家に今晩また泊めてもらうことになっていたからだ。

Place d'Italie(プラス・ディタリー)の駅で乗り換え、6番線でNation(ナシオン)へ向かっている車内で、甲斐が携帯電話といろんな人の連絡先を書いたMoleskineの手帳を村澤さんの家に忘れてきたことに気づく。
急いで私の携帯から村澤さんに電話をしたが、出ない。明日からの旅行で、甲斐が携帯を持っていないと不安なのでどうしようかと思っていると、村澤さんから折り返し電話がある。
事情を説明して、これから取りに行ってもいいかと聞くと、「どうせそっち方面に出かける用事があるから、Nationの駅まで持って行きますよ」と言ってくれる。

Nationの駅で村澤さんを待っている間、ホームのベンチに座って人の流れを眺める。
この駅は6番線の始発・終着駅なので、右側の電車はしばらく停まって人をドンドン乗せて行き、しばらくして左側のホームに電車が入ってきて人を全部降ろしたら、右側の電車の扉が閉まり、電車が出発する。人をたくさん乗せた右側の電車が行ってしまうと、空っぽの電車が車庫へと動き出す。しばらくすると、右側にまた空っぽの電車が入って来て、また人を乗せる。左側には人を乗せた電車がやってきて人をはきだす。右側は人を乗せて去って行く。。。



これを何度か繰り返し見ていると、いつの間にか左側の電車から村澤さんがニコニコしながら降りて来た。
携帯電話と充電器をしっかり持って来てくれた。Moleskineの手帳はいくら探しても見つからなかったそうだ。まあ、そのうち出てくるだろう。
村澤さんは、Place d'Italieで買物をするから、と言って引き返した。
本当にわざわざ持って来てくれたのだった。

Nationで9番線に乗り換え、2駅目のCharonne(シャロンヌ)で降りるとグザビエの家が近い。
Charonneを降りてグザビエに電話を入れると、グザビエは今、Charonneの近くのカフェにいるというので、そのカフェを探す。私たちが使った出口とは別の出口の真ん前のカフェだった。



今日はものすごく暑い。気温は30℃あるそうだ。
この暑い中でも、太陽が好きなフランス人たちは外に出たがる。
グザヴィエとファビエンヌも、カフェの外の、影のない陽の下で2人揃ってサングラスをかけて汗をかきながらビールを飲んでいた。私はトマトジュースを頼む。
甲斐はそのカフェのウェイトレスがかわいかったので写真を撮りたそうにしている。
少しハスキーボイスで、はつらつとした女の子だった。グザビエと友達らしく、グザビエが写真を撮ってもいいかと聞くと、はじめは「私なんか撮ってもしょうがないでしょ」と笑っていたが、まんざらでもない様子だったので、タイミングを見はからって撮らせてもらう。

夜は、数日ぶりにグザビエの家に泊めてもらう。

2010年5月23日日曜日

Ivry(パリ郊外)散策

ジェロームの母・アンドレさんの家は、パリ南郊外のイヴリーというところで、メトロ7番線の終着駅の改札を出て、すぐ隣の高層マンション。
昨晩から、その広いマンションに一人で泊まる。
天井が2階分ほどあるアトリエの片隅に、今は日本にいるジェロームのベッドがあり、それを貸してもらった。
昼すぎ、甲斐が来たので、一緒にイヴリーを少し散策することにする。

マンションを出る時、エレベーターの中で一緒になった、スーツで正装した、背が高くてなかなか男前の若い黒人男性が、甲斐が首から下げているカメラを指さし、「フォトグラファー?」と話しかけてきた。なんだか、嬉しそうだがそわそわしているなあ、と思っていたら、エレベーターの扉が開いた途端、扉の向こう側に小さな黒人の男の子が立っていて、待ちわびていたかのようにその子を抱き上げ、ビズをして、再びその子と一緒にエレベーターに乗り込んだ。なんだかよくわからないが、劇的なシーンを見たような気がする。
マンションを出ると、車に白い飾りをつけている男性がいて、その車の陰から、ドレスを着たかわいい子どもが飛び出してきた。歩道や車の周りにはドレスアップした人たちもいて、どうやら結婚式があったようだ。さきほどの黒人男性は、もしかしたら新郎だったのかもしれない。



少し歩いて行くと、イヴリー市役所の建物があり、前の広場では男性たちがペタンクをしていた。
甲斐に、これがペタンクだと教えると、「なんだ、これがペタンクか。鴨川でもよくやってるやつや」と、初めてペタンクを認識した様子。もっとちゃんと撮りたそうにしていたが、遠慮して遠くから撮っていた。



きれいな公園や、小さなかわいらしい一軒家が並ぶ一帯を少し歩いて、途中でパンを買って戻る。



夕方は、甲斐が今しばらく泊めてもらっている村澤さんの家(サン・ジャック/14区)へ行く。村澤さんは今晩は用事があるらしく留守だったので、勝手に冷麺を作って甲斐と2人で食べる。

2010年5月22日土曜日

コンコルド広場/リゼット・モデル展/オランジュリー美術館



14時、6月から泊めてもらうヴェロニクさんの家にあいさつに行く。
フランソワの家の近くだった。ベルヴィルにも近い。
メトロのジュルダン(Jourdain)から歩いて5分くらい、少し大通りを外れて階段を降り、石畳の道を抜け、曲がりくねった細い小道を少し歩いたところにある。一階は小さなレストラン、隣はアトリエになっていて、暗証番号を入れて扉を開け、奥の階段を1階分のぼると、きれいな中庭があり、中庭を囲んで4軒くらいある内の一番左側のドアがヴェロニクさんの家だった。
家の扉は開けっ放しになっていて、玄関からのぞくと細い身体、茶色い髪の毛、麻のワンピースで素足のヴェロニクさんがいた。灰色で毛の長い猫と、白と灰色の斑で毛の短い猫が椅子の上や布団の上で寝ていた。正面にはピアノが置いてあり、机の上や床の上は本や荷物がたくさん散らばっていた。
先ほど通ってきた細い小道が窓から見えていて、とても明るい部屋だった。
簡単に家の中の説明をしてもらい、屋根裏の、娘さんの部屋を貸してもらえるということになった。
今日はとりあえず、それだけですぐに用事はすんだ。

その後、甲斐とコンコルド広場で待ち合わせ。



ジュ・ド・ポーム国立美術館でリゼット・モデルの写真展をやっているときいていたので、一緒に見に行った。
彼女の生き生きとしたポートレートを生で見ることができて大満足。展示の仕方も、参考のためにじっくりと見ておく。
別の部屋で同時にやっていた展示はあまり興味がなかった。



時間があるので、向かい側のオランジュリー美術館にも行くことにする。
モネの部屋では、白い楕円形の部屋の壁面に、パノラマの睡蓮の絵を鑑賞することができる。前回きた時は、ジヴェルニーのモネの家に行ったすぐ後だったので感動が強かったのだと思っていたが、今回もさらに感動。この部屋だけ空気が澄んでいるかのようだ。





地下の常設展ももちろん見る。有名どころでは、ピカソ、セザンヌ、マティス、ルノワール、モディリアーニがあるが、私はマリー・ローランサンがお気に入り。
特別展ではラッキーなことに、パウル・クレー展をやっていた。でもなぜかクレーの展示だけは撮影禁止でちょっと残念。

今日はゆっくり美術館を楽しんで、グザビエの家に戻る。
メールをチェックすると、シルヴァンさんからエマニュエルとの共同展用のパンフレットに入れるインタビューと挨拶文の仏訳が届いていたので、西川さんに転送する。
ギャラリーがエマニュエルとの共同展のチラシをつくっていないので、仮に前のチラシの日付を変えただけの、簡単なものをイラストレーターで作り直す。

今晩からジェロームのお母さんの家に泊めてもらうことにしているので、グザビエの家で食べた後、荷物を運ぶ。
ジェロームのお母さんとボーイフレンドのミッシェルさんは20日から留守にしていて、自由に使っていいよと言ってくれている。この前、食事に行ったときはエレベーターが故障していて15階まで階段で登ったが、今日はエレベーターもちゃんと動いた。
広いアパートを一人占めして、優雅な気分でゆっくり眠る。

2010年5月21日金曜日

Strasbourg St-Denis (10区)



ストラスブール・サン・ドニ(10区)のルフェーブル巴さんとルンツェ清さん夫婦の家に招待される。巴さんの兄・ケンジさんも来ていて、みんなで巴さんの手料理をいただいた。ルフェーブル兄妹は日本&フランスのハーフで、清さんはドイツ&日本のハーフ。巴さんは妊娠中でお腹が大きかったが、食事の後、家の周辺を案内してくれた。



歩いていると、停まっている車のボンネットの上にぺったり身体をくっつけて気持ち良さそうに眠っている男性がいた。この男性はいつもこうやって車の上で眠っているのだという。彼のもうひとつの趣味は、柱に貼り付いたシールを剥がすことらしい。



さらに歩いていると、髪の毛が地面につきそうなくらい長い男性が果物屋の前に立っていた。巴さんは以前、振り袖で歩いてみたが誰も振り向かなかったくらい、この辺りにはいろんな人種が混ざり合い、いろんな格好をした人が闊歩しているのだそうだ。一日中、歩いている人を見ているだけでも十分楽しめそうな場所。

まず案内してくれたのは、インド人街の路地。インドの香辛料をたくさん売っている店もその路地の中にあった。



そして、アフリカ系の黒人街。アフリカ系美容院やネイルサロンなどが多く並んでいた。ネイルサロンのスタッフで中国人が多いのは、アジア系の人間は手先が器用だからだろうと巴さんは言っていた。



カメラを構えると警戒する人が多く、写真は撮りにくかったが、すれ違い様に突然「オレを撮ってくれ!」と言ってくる真っ白なTシャツを着た黒人男性もいた。とにかく黒人が多く、彼らは何をするともなく屯ろしている。キレイな2人の黒人女性の周りに7~8人の男が、ヘアサロンの勧誘&ナンパで群がっており、メトロに乗ろうとしている女性は身動きがとれなくなっていた。

黒人街を抜けると、目前に大きな綺麗な区役所の建物が建っている。巴さんと清さんはここで結婚式を挙げたらしい。少しだけ中を見学したが、式場は扉が閉まっており、見ることができなかった。



そこからエスパス・ジャポンが近いというので、ついでに寄ってみることにした。昨日、巴さんと清さんは、生まれてくる子どもの名前を考えるために何か参考になるものはないかと思い、エスパス・ジャポンの図書館に行ったらしい。そこの司書のおじさんがいろいろとアドバイスをしてくれて、とても感じがよかったという。
今日も行くと、巴さんと清さんのために、司書の人が紙に名前を書き出してくれていた。本棚をチェックすると、先日渡した写真集「Streets of Kyoto」が並べられていた。事務所をのぞくと甲斐の展覧会のヴェルニサージュにも来てくれた、オブニーの小沢さんと、以前ここに来た時お会いした小沢さんの息子さん・ダンさんもいたので挨拶する。
ここのスタッフは皆、甲斐さんの写真がとても気に入っているので、来年は是非エスパス・ジャポンで展覧会をやってほしいと言われる。事務所の入口の扉には甲斐展覧会のポスターも貼ってくれていたので甲斐が「記念に一枚撮って」というので撮る。



パサージュを通ってさらに歩いていると"FLO"という綺麗なレストランがあった。有名な所らしく、巴さんが中を見せてもらえるように店員に話をしてくれて、中をのぞかせてもらう。内装はとても古く伝統的なものだそうだ。



"FLO"の通りをずっと入っていくと、ウィンドーに海岸沿いのどこかの街の絵が描かれた店があった。店内にはテーブルが5〜6台置かれ、それぞれに4〜6人くらいの男性が、カードゲームや麻雀のようなゲームを熱心にしている。マスターにウィンドーの絵はどこの街か尋ねると、黒海近くの街だという。彼はそこの出身なのだそうだ。気さくで面白いおっちゃんだった。私と巴さんはトルコのお茶をもらい、甲斐はその街のお酒(パスティスのような味)を飲む。



サン・ドニの門まで戻り、そこから今度は南の方へ行く。その通りは昔からの娼婦街で、今も娼婦が立っている。彼女たちはやたらと胸を強調していたが、形は不自然にもりあがり、堅そうだった。絶対にカメラを向けるなと注意されたので、撮りたいのを我慢して通りすぎた。
途中、アーケードになっている路地に入ると、そこは布の問屋街らしく、洋服や布生地、大量のマネキンなどがショーウインドーから見え、その前を学校帰りの小学生が数人通り過ぎた。中国人、黒人の子どもたちが多い。

巴さんと別れ、20時にオデオン(6区)のカフェで、ギランさんと待ち合わせ。彼は今度、ロワールに彼のワインのブドウ畑(シャトー)を持っていて、そこに案内してくれるという。



ギランさんと食事をするのかと思っていたが、彼は忙しく、弟の誕生日のためにこれから出かけなければならないというので、一杯つきあっただけですぐに別れる。ロワールには来週の金曜日から日曜日に招待してくれる。

2010年5月20日木曜日

別行動(5区Place Monge / 13区Butte aux Cailles)



今日は甲斐と別行動をする。
甲斐はギャラリーで1時にヌーインさん(去年ヴィラ九条山に来ていて八文字屋でもバイトをしていたベトナム系フランス人。映像作家)と会う予定。

私は友人宅へ。たまたまその家は私の携帯(Orange)の電波が通じない場所だったらしく、電話が通じず。7時頃、外に出ると甲斐から10件以上のメッセージが入っている。急いで電話すると、コリーヌさんが友人のシルヴィーさんのアトリエを案内すると言って私に連絡してくれていたらしいが、電話が通じず、何時間も待っていたというので、急いでコリーヌさんに電話をして謝る。

友人の案内で、レストランの多いムフタール通り(5区)から南へ下り、古い静かな公園を横切り、プラス・ディタリー周辺のビュット・オー・カイユという地域(13区)まで散歩する。パリでは珍しい一軒家の住宅街がちらほら見える。



この辺は、古い建物とパリ再開発のためにこの数十年内に建てられた新しい建物とが混ざり合っている地域だという。途中、横切った公園はほぼ100年前の様式を残しているが、公園の入口の一筋向こう側の通りには近代的なガラス張りのビルが建っている。おそらくここは、日本人が抱いている「パリ」のイメージとはだいぶ違う場所。



右は女子校、左は男子校、と隣り合わせに門がある古い学校もあった。



散歩帰りに、ブルターニュ風のクレープの店に入り、クレープとシードル(りんごの発泡酒)を頼む。

2010年5月19日水曜日

モンマルトル(18区)


12時頃、昨日注文したフィルム100本をとりに行く。フィルム代565.71ユーロを甲斐の代わりに立て替える。
サンケイの山口さんより、今日の午後3時にギャラリーで会う予定だったのを、場所を変えて欲しいとメールがある。ギャラリーの人ぬきで話したいそうだ。シャンゼリゼ通りにあるMarriotte Hotelのロビーを指定されたので、3時にそこへ行く。



甲斐の取材かと思ったら、日本文化センターが窓口で、11月にフランス中央部の街でテーマは「日本」という芸術展が開催されるので、それに出品する気はないかという話だった。ぜひ出したいと返事すると、すぐに担当者の人に伝えておくわ、と言ってくれ、後でこちらからも日本文化センターに電話するように言われる。

山口さんと別れた後、ギャラリーへ顔を出し、すぐに甲斐と2人でモンマルトルへ行くことにする。
サン・ラザール駅まで歩き、そこからメトロでピガールまで行く。そこから歩いてモンマルトルの坂道を登っていると、角を曲がったところの建物の窓の中に、アラン・ルマットさんの顔を見つける。またまた偶然、そこでアランさんの友人の展覧会をやっており、その前を私たちがたまたま通りがかったのだった。度重なる偶然に、何だか恐いような、不思議な感じを覚えた。



モンマルトルの頂上のサクレ・クール寺院前は私のお気に入りの場所のひとつだったので、ぜひ甲斐に見せたいと思い連れていく。中には入らなかったが、そこからパリの街を見下ろす景色は最高。



裏側の絵描きが集まって絵を売っている広場の近くの店でジェラートを買い、ほおばる。
サクレ・クール前の大階段にはいつも大道芸人や多くの観光客であふれかえっている。階段の柱の上では、サッカーボールを操った芸をみせる黒人が注目を集めていた。





坂を降りていくと、坂の途中からAnversの前まで、何を並んでいるのかわからなかったがものすごい人で長い行列ができていた。



6時半頃もどると、今度のエマニュエルとの2人展用のパンフレットを作るのに印刷のことについて、ニュース・ダイジェストの編集長と西川さんが打ち合わせ。
今日の昼頃、西川さんから、パンフレット作りを手伝ってくれないかと言われたが、まだ何のテキストも画像もない状態から、1日か2日で10数頁のものを作るつもりでいるのには驚いた。
安くあげたいという西川さんの気持ちは分かるが、もし私に任せてくれるのなら、完全データを作るくらいのことはできるが、それなりの日数と報酬をもらわないとできません、ということをはっきり伝える。

夜は、早めにグザビエの家に帰って甲斐、グザビエ、ファビアンヌと一緒に食べる。甲斐は食後、村澤さんの家へ帰る。