2010年6月11日金曜日

Dublin2日目

B&Bの朝食(ビュッフェ式)中、正面奥の席で、サングラスに帽子、シルクの黒いYシャツ&黒い革ズボンの黒人宿泊客が朝食をとっていた。動作や仕草が、どうもマイケル・ジャクソンを意識しているような感じで、ついつい目がいってしまった。

陽子さんは子守りのため、やはり出られないという電話があったので、甲斐と二人でTemple Bar(テンプル・バー)にある写真ギャラリーに行くことにする。

テンプル・バーにはレストランやパブが多く、観光客も多い。
通りではギターや楽器でパフォーマンスをする人たちが目立った。
その内の一人、ちょっと変わった楽器を弾いている男性がいたのでカメラを向ける。「タケボーみたいやなァ」と甲斐と話す。

ひたすらシャボン玉を作っているだけの地味なパフォーマンスをしている人もいた。


甲斐が陽子さんからきいたギャラリーの名前は「Photography Gallery」だという。正確な住所をきかず、ただ「テンプル・バーにある」という情報しかなかったので、ビラ配りの女の子にきいたり、別のギャラリーに入って展示をしている人に尋ねたりしながら探しまわるが、なかなか見つからない。
あきらめようとしてたまたま入った横道の奥に、周りを建物に囲まれた中庭風の広場があり、その脇にあった少し大きめの建物をよくみると、"Gallery of Photography(ギャラリー・オブ・フォトグラフィー)"と書いてあった。


中に入り、甲斐がスタッフに「ターニャさんという人に会いたい」ことを告げると、「彼女は今外出中で、4時半頃戻る予定ですが、会えるかどうか分かりませんよ」と言われる。パリ展のポスターやDMを見せ、「4時半すぎにもう一度来る」と言い、一旦出る。
ここでの会話は英語なので、私は全く役に立たず、後ろで見守るのみ。

時間を潰すため、陽子さんが作品を扱ってもらっているという、"Graphic Studio Gallery(グラフィック・スタジオ・ギャラリー)"に行ってみることにする。
そこは、ギャラリー・オブ・フォトグラフィーを出る時スタッフに尋ねてみると知っていたので、もっていた地図に印をつけてもらう。
細い路地の奥の分かりにくい場所だったが、地図上に印をつけてもらったおかげで、迷わず見つけることができた。

下の写真で陽子さんの作品は、右から二番目の青いやつ。
和の要素を織り込んであるが、アンリ・マティスの"ダンス"を思い起こさせるような絵。
色がとてもきれいで、繊細な線が美しい作品。

ギャラリーの若い女性スタッフに話しかけると、彼女はフランス人で、ギャラリーの研修中だというので、パリ展の宣伝をして、エマニュエルとの展覧会のカタログの中の、私が編集した甲斐インタビュー(フランス語訳)を見せたり、ほんやら洞の名刺を渡したりして、何かあったらよろしく、と言う。

ギャラリーを出て、まだ時間があったので、近くにあるDublin Castle(ダブリン城)まで行ってみるが、本日の入場は終わったところで中には入れず。



"Gallery of Photography(ギャラリー・オブ・フォトグラフィー)"に戻ると、ターニャさんが帰ってきており、会ってもらえることになる。
ターニャさんは、40代くらいの"できる女"風の、とてもきれいな女性だった。
彼女はとても忙しそうで、「少ししか時間がないけどどうぞ」と地下のオフィスに通される。「私と直接話ができるなんて、あなたはとてもラッキーな人ね!」とターニャさんは前置きしてから、甲斐の写真集をパラパラとめくる。
とてもいい写真だ、興味深い、と褒めてくれるが、大きな出版社--例えばロンドンの出版社や、Phaidonのような大手出版社--から出ているものはないのですか、と言われる。
やはり、誰でも知っているような出版社からの出版物があるか、かなり知名度がないと、ここでは難しそう。
年間数百人もの人から、このギャラリーでやらせてほしいというオファーがあるのだそうだ。

帰りに、上の階でやっている展示を見て行く。
何か違和感があるな、と思ったら、作品の説明を読むと、やはりデジタルの合成写真だった。


オコネル・ストリートを通って、7時頃B&Bに帰る。
帰る途中に通りがかったB&B近くの銀行のような建物の中に、朝の「マイケル」の姿が一瞬見える。

メールのチェックをすると、青草書房の民輪さんからメールがあり、お願いしていた本を10部、EMSでパリに送ってくれたという。
エマニュエルからも、甲斐のインタビューの文章を読んでとても感動した、というメールが入っていた。

少し休憩してから、またパブにでも行ってみようか、と言っていたのに、甲斐は疲れていたようですぐに眠ってしまい、そのまま朝まで起きて来ず。